ぼくがその女の人と会ったのは、夏休みが始まってすぐの昼下がりだった。
ぼくは、いつものように、かあさんが作った帽子と靴を商会に届けたあと、まっすぐ家には向かわずに西地区に足を向けた。
住宅街を抜けて、大陸西部との城壁が見えてくる手前に、こんもりとした木が生い茂った一角がある。そこには「お社」と呼ばれる小さな建物があるばかりで、あまり人の気配もない。
その「お社」を通り抜けると日中でもあまり陽の当たらない林がある。
そこがぼくの訓練場なんだ。
林の木の枝には、30cmくらいのバルサの丸太をいくつも縛りつけた縄が何本もぶら下げてある。
その縄をのれんのように潜り抜け、いつもの位置に立つ。
すぅーっと息を吸ってから、腰に差した木刀を取って構えると、手近な丸太を打ち据えた。
ぼこっ。
丸太は揺れた反動で別の縄の丸太に当たり、さらに揺れて別の丸太が動き出した。
予期せぬ方向から向かってくる丸太をよけながら、木刀を振るう。
がちんという音。
まだまだコミックで読んだ「達人」のような小気味いい音には程遠い。
顔の辺りを揺れた丸太が掠めていく。
振り向きざまに木刀を振るが、空振りで蹈鞴を踏んでしまった。
そこに丸太が襲ってくる。
「ひゃっ」
つい、頭を抱えて地面を転がってしまった。
縄の揺れが小さくなるのを待って、おそるおそる立ち上がる。
(ふうぅ)
思わずため息が出てしまう。
(こんなんじゃ、いつまでたっても、とうさんを・・・)
息を整えてから、もう一度丸太を打つ。
再び動き出す縄の動きを目で追いながら、木刀を構えた。
★
それから30分。
息も上がってきたし、喉もカラカラになってきた。
ちょっとだけ休みをとることにしよう。
今日も、まだ完全にクリアは出来ていない。
でも始めた頃に比べればだいぶ進歩したと思う。
身体に丸太が当たることも少なくなったし・・・。
最初の日は、全身に青あざができて、おまけに家に帰ってから着替えているところをかあさんに見られてしまい、「いじめじゃないのっ!」って大騒ぎするかあさんをなだめるのに一苦労だったんだ。
それ以来、かあさんには気づかれないように、注意深くしている。
湿布も包帯もできないからちょっと辛いけどね。
水筒の蓋をぎゅっと閉めて、もう少し続けようと思ったとき
「うぁああああぁぁぁぁ、なにぃ、これぇぇええええ」
悲鳴とともに、木の上から女の人が落ちてきたんだ。
★
その人は、草の上でぽ~んとバウンドすると、尻餅をついた。
「いたた・・・」
立ち上がりながらお尻をさすっている。
縄に縛られた丸太を押して、
「んもう・・・なんなのよぉ、これは・・・」
どうやら、木から木へ飛び移ってるときに、縄に足を引っ掛けたみたいだ。
「だ、大丈夫?」
「私だからよかったようなものの、普通の人だったら、大怪我してるわよ」
ぷんすかと怒りながらぼくを睨みつけた。
(いや、普通の人は、そんなところを通らないから・・・)
ぼくは心のなかで突っ込んだ。
その人は背は小さいんだけど、ぼくたち子どもとは違う雰囲気がした。
なんだか古めかしい服を着て、靴ではなくて歯の無い下駄みたいな履物を履いている。
コミックで読んだ「くのいち」の格好に似ている。
いまどきの子どもはこんな服は着ないもんね。
ひょっとしてこれが噂の「こすぷれいや」とかいう職業の人かな。
そんなことを考えていたら、
「で、あんただれ?」と聞かれた。
「・・・」
かあさんに言いつけられるのは困るなぁと思って黙っていたら
「怒んないから・・・」というので
「・・・フウタ」
つい名乗ってしまった。
でもこの人、きっと告げ口したりはしないんじゃないかな・・・。なんとなくだけどそう思った。
「そのフウタくんは、ここで何してたのかな?」
「・・・」説明に困って黙っていると、
「また黙秘・・・」その人はくるりと回りを見渡した。
「ふ~ん・・・なるほどね」
頷きながら
「これって、アレでしょ?『秘密の特訓場』ってやつ・・・ねっ、ねっ・・・?」
いきなり表情が変わっていた。
目を輝かせて尋ねられると悪い気はしないから、
「うん」と返事をした。
「フウタ、自分で作ったの」いつの間にか呼び捨てになってる。
「そうだよ」
「へぇ~、すごいな・・・お父さんとかに手伝ってもらったんじゃないの?」
「!」
「ん?」
「とうさんは・・・」
ぐっと唇を噛みしめる
「とうさんは、お城に行ってて忙しいから、そんな暇なんてないよ!」
落ちていた木刀を取ると、力任せに丸太を叩いた。
縄は大きく上下に揺れたけど、他の丸太に当たることはなかったので、揺れはしばらくすると収まった。
「ふ~~ん」
まったく気にする様子はないようだ。
「ちょっと使ってみてもいい?」
「女には難しいよ・・・」
「そうかなぁ・・・」
その人の手にはいつの間にか木刀が握られていた。
あれっ、ぼく、いつ渡したっけ?
吊るされた丸太の真ん中に立つと、無造作に一個叩いた。
そんなに力を入れたように見えなかったけど、丸太はぼくが叩いたときより数倍速く隣の丸太にあたった。
そしてその丸太はさらに他の丸太にあたって、動いている丸太はどんどん増えていく。
「はっ」
頭の辺り目がけて落ちてきた丸太をすっとかわす。
後ろからわき腹にあたりそうなのは身体を捻ってよけた。
「よっと・・・」
足元をすくう勢いの丸太もひょいとよける。
「けっこう、いい運動になるわね」
笑顔のまま、身体を動かしている。
息は全然切れていない。
そのまま、5分くらいもやっていたのかな・・・。
突然、
「や~~めた」
始めたときと同じように唐突にやめてしまった。
「お、お姉さん、すごいね」
ぼくは素直に感動していた。
今まで、身体に一度も当てずに終わったことなんかない。それだけじゃなくて、この人は・・・
最初に一度木刀を使ったっきり・・・。
あとは、飛んでくる丸太をひたすらよけていた。
つまり、まったく身体に触れることがなかったんだ。
なんて、すごいんだろう・・・
「ふふっ、まあね」
「お姉さん・・・ぼくの師匠になってくれませんか」ぼくは頭を下げた。
「う~~ん、困ったなぁ・・・私、弟子は取らない主義なんだよねぇ・・・」
「そ、そんな・・・」
「それより、フウタはなんでこんなことをしてるの?」
「それは・・・」母さんにも友達にも話してない、自分だけの秘密。
「教えてくれたら、弟子のこと、考えないでもないわ」
「ほんと?」
「うん」
「ぼく・・・強くなって、とうさんの代わりに警備兵になるんだ」
「警備兵?」
「とうさんは猟師で、かあさんは皮鎧をつくる職人なんだ・・・」
ぼくは、いつのまにかぼくの家族のことを話し始めていた。
★
とうさんは腕のいい猟師で、弓で鹿を獲る名人だった。
村祭りになれば、弓の大会に出て、たくさん賞品を貰ってくるんだ。
ある日、とうさんは城からきた人に誘われて、警備兵になっちゃったんだ。
かあさんは、とうさんが獲ってきた鹿の皮でレザーアーマーを作ってたんだけど、とうさんが城へ行ってからは質のいい皮が手に入らなくなったので、鎧作りはやめて帽子や靴なんかの小物しか作らなくなった。
小物は鎧に比べると、手間の割りに安くしか売れないんだよ?わかる?
だから、かあさんは一杯作るために無理をして、身体を壊しちゃったんだよ・・・。
とうさんも、きっと心配していると思うんだ。
でも、辞めたら他の人に迷惑がかかるから、辞められないんだと思う・・・。
だから、とうさんの代わりにぼくが警備兵になって、とうさんにはかあさんのところに帰ってきて貰うんだ。
それでぼくは早く強くなりたい・・・いやっ、ならなきゃいけないんだよ。
★
「へぇ・・・いろいろ大変なんだぁ・・・」
「うん・・・」
「若いのに苦労してるんだね?フウタは・・・」
「だから、ぼくにさっきの技を教えてよ!弟子にしてくれるんでしょ?」真剣にお願いする。
「う~~ん、その話を聞いたら・・・」
「うん」
「ますます、教えたくなくなっちゃった」
「けち、いじわるばばぁ!」
「なぁにぃいいい」
どうやらぼくは蛇の穴に手を突っ込んでしまったらしい・・・。
いきなりぼくの頬を両手で掴んで思い切り引っ張りながら、
「そんな言葉を吐いたのはこの口か?この口か?」
「・・・いひゃぃれふ」
子どもの言うことにそんなにムキにならなくたっていいじゃないか・・・おとなげないんだから、もう・・・。
「まじめな話、弟子にはしない」
その大人気ないお姉さんはきっぱりと言った。
「どうして?」ほっぺたを押さえながら涙目になったぼくは尋ねた。
「フウタ、あんたが兵士になったら、お父さんもお母さんも悲しむよ」
「なんで、そんなことわかるんだよっ」
涙はいつの間にか、痛みの涙ではなく悔し涙になっていた。
「そういうもんなのよ」
「ぜんぜんわかんないよっ!」
なんでわかってくれないんだろう・・・。
ぼくは、急いで強くならなきゃいけないのに・・・。
「まあ、わかってもらおうとは思わないけどね・・・」
「なんだよ・・・それっ」
「フウタ!あんたはおかあさんの側にいなさい・・・そして、お母さんを守ってあげなさい」
ぼくの方を向いて真剣な表情でそう言った。
ぼくはその迫力に押されて、目をそらしながら
「とうさんが帰ってくれば、とうさんが守ってくれるよ、とうさんは、ぼくより何倍も何十倍も強いんだ・・・」そう呟いた。
「おとうさんは、今でもお城の警護をしてるの?」
唐突にその人は尋ねた。
「今は、新しくできた研究所の警備行ってる・・・」
言っていいかわかんなかったけど、ついそう答えちゃった。
「そっか・・・ありがとう・・・」
「?」
「なんでもないよ」その人はふっと笑うと
「私、行くわ・・・特訓の邪魔をして悪かったわね」
と、立ち上がった。
「もう行っちゃうの?」
「うん、私も用事の途中だったのに、こんなところにこんなもの作るから・・・」
仕掛けを見上げながら、
「すっかり遅くなっちゃった・・・フウタのせいだっ!」
ぷっとふくれた。
「・・・普通の人は、こんなところ来ないし・・・来ても頭にあたることはあっても、足を引っ掛けたりはしないよ?」
そう反論すると、
「うっ・・・」言葉に詰まったけど、
「とにかく、こんな危ないもの放置したらダメなんだからねっ!ちゃんと片しておきなさいよっ!!」
腕組みをして言った。
本当に大人気ない・・・。
「・・・はーい・・・」もはや見えなくなった後ろ姿にぼくはそう呟いた。
大人の言うことに逆らっても良いことはない。
かあさんに告げ口されたら、また心配かけちゃうし・・・。
結局、すべての仕掛けを外し終わった時には、真っ暗になっていた。
家に帰ったぼくが、帰りが遅いのを心配していたかあさんの、涙とお小言に責められたのは言うまでもないか・・・。
★
その晩、王立研究施設のひとつが、突然侵入してきた3人の不審者によって壊滅した。
★
それからの数週間・・・。ぼくの夏休みはあっという間に過ぎた。
とうさんは、警備していた施設がなくなったとかで家に帰ってきた。
「また、どこかに警備にいくの?」と尋ねると、
「『民兵はいざというときに使えないからダメなんだ』とさ」と言って寂しそうに笑った。
ぼくはちょっとだけ嬉しかった。
かあさんも、とうさんが帰ってきてから元気になってきた。食欲がもどって顔色も良くなってきた。
相変わらず皮鎧は作らないけど、靴や服は作っている。染色なんかもして、女の人に人気があるようだ。
ぼくはといえば、例の特訓はやめてしまったけど、いざと言うときのために、いろいろ訓練はしている。
林で木登りをしたり、河原で水きりをしたり、友達とドロケイしたり・・・日々これ訓練の毎日なんだ。
兵士になるためじゃないよ。
とうさん、かあさんを守るためにやってるんだ。
うん、お社にはあれ以来行っていない。
行ったらあの人に会えるかな?もう一度会いたい気もするけど・・・。
でも、なんだか、もう会えないんじゃないかって・・・そんな気がするんだ。
子どものカンだから、きっと外れると思うけどね。
それじゃあ、みんなが待ってるからいくね・・・。
おまけ
「お姉さま、そろそろいきません?」
「うん・・・」
「そういえば・・・お姉さま、子どもは苦手っておっしゃってましたけど、フウタくんは大丈夫でしたね?」
「そりゃ、そうよ・・・」
「?」
「フウタは子どもじゃなかったからね・・・」
慧さまは目を細めた。
「あいつ、しっかり漢だったよ」
Ep.7 Fin
[4回]
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